前編|クリエーション記録《ダンスタイムカプセル》滞在制作 @芝の家|3
Text|木村玲奈
11月15日(金)くもり
芝の家 滞在6日目
12:00 到着
今日のスタッフは、Aさん、Bさん、Cさん。
ご挨拶して荷物を置いて、入り口を見たら、なんと知り合いのDさんが入ってくるではないか!「Dさん?」と話しかけるとめちゃくちゃびっくりされていて、私が居るということも知らずに、芝の家に初めてきたとのこと。偶然に驚く。ちょうど前日に参加したトークイベントで芝の家のことを知り来てみたとのこと。
職場が港区のお姉さん
たくさんのパンを持ってやってきた。前にも一度お会いした気がするけど、今回初めて話した。「芝の家のカレンダーにアーティスト滞在と書いてありましたが、アーティストさんですか?」とまっすぐな目で質問されたので、どぎまぎしながら「はい、アーティストです!よろしくお願いします」と答えた。「どんなダンスしてるんですか?」と聞かれたので、言葉を紡いで説明をし、今回取り組んでいる『ダンスタイムカプセル』の創作の経緯や、試みようとしていることもお話した。
《ダンスタイムカプセル》創作の経緯
今から12年前、2012年 私は国内ダンス留学@神戸というDANCE BOXの企画に参加するため、8ヶ月間 神戸、新長田で暮らしていた。ダンス留学を卒業してから東京へ戻るも、5、6年は1年の半分くらいを神戸で、創作時間を過ごした。そんな中で私の心のオアシスだったのが「喫茶メリット」だった。出会った頃、既に70代後半だったお母さん(店主)は、おしゃれでキリッとしていてとても素敵な人だった。アイスコーヒーの差し入れを持って神戸での公演を観に来てくれたこと、屋外パフォーマンスの休憩所として喫茶店の奥の部屋を貸してくださったこと、お母さんの淹れるサントス・ニブラの味、少し甘いアイスコーヒーの味を今でもよく思い出す。コロナ禍になって神戸へ行く機会がぐんと減ってしまったが、1年に1度は訪ねていたのだけど、2023年の9月に1年ぶりに訪れると、お母さんは私のことを忘れてしまっていた。「玲奈ちゃん、おかえり」と言ってくれるお母さんではなくなってしまったことに私は静かにとてもショックを受けた。でも、ショックを受けること自体、私の身勝手のようにも感じて、平然を装い、初めて店を訪れるふりをして いつも頼むサントス・ニブラを注文した。「お仕事で来てるの?」ときくお母さん。ダンスの仕事で来ていることを伝えた。お母さんは元々華奢な方だったけれどますます華奢になっていて、何となく私は、今彼女の姿を目に焼き付けておかなければいけない気がして、豆をひく姿をバレないように眺めた。40分くらいだろうか、お話しして帰る頃には、お母さんが「この人と昔会ったことがあったような、、」と感じてくださっていた気がした。最後、入り口のドアから出て、ずっとお辞儀して送ってくれた。今もその姿が目に焼きついている。お礼を伝えないといけないのは私の方なのだ。お母さんが見えなくなってから、私は商店街を歩きながらひとりで泣いた。その時から、【いつかなくなってしまうなら、自分なりに何かアクションを起こしておきたい】という気持ちが生まれた。そこから数ヶ月経った 2024年1月に再び「喫茶メリット」を訪れるも、お店は閉まった状態で、10月にも訪ねてみたけれど同じだった。それでも、私の中の「喫茶メリット」は今も在る。
長くなってしまったけれど、このような実体験から、いつかはなくなってしまう誰かの大切な記憶をタイムカプセル(時には上演、時には振付書、時には造形物、時には映像など)にして、記憶やお話しを聞かせてくださった方へダンス作品を渡すプロジェクトを始めることにした。その先の、ダンスタイムカプセル/ダンス作品 の行き処も(埋めるのか、持ち帰るのかなど)受け取った方それぞれに決めてもらう、そういう作品である。また、活動を続ける中で【ダンスは誰のために在るのか?】という問いが生まれ、ずっと私の中にあることも《ダンスタイムカプセル》の創作に関係している。
Dさんが、「見てはいないからこんなこと言っていいかわからないけど、《6steps》(私がコンセプト・振付を行うダンス作品・プロジェクト)からのダンスタイムカプセルは納得だ」と言っていた。Dさんに、共通の知人から占い師とか向いてそうと言われたことを話す。そこから手相の話に。そこから熊手の話になり、お姉さんが熊手は飾るんじゃなく時々ちゃんと空気をかき混ぜるものとして使った方が縁起がいいんだと教えてくれた。そうだったのか!
外にEさん。ご自由に持って行ってくださいの箱に可愛いカバンを追加していた。スタッフさんが外に出ていって立ち話している。
スタッフAさん、Dさん、お姉さんと4人で話す。
スタッフAさんが下記2冊の本と、芝の家のまわりにあるお店が書かれた地図を見せてくれながら、芝の家の説明をしてくださった。
【本欲しい】
・黒板とワイン もう一つの学び場「三田の家」
・藝術2.0 / 熊倉敬聡
現 芝の家がある場所は八百屋さんだった。前回の滞在時の帰りに、芝の家のまわりを歩いた話をスタッフAさんにした。素敵だな〜と思った剣道の道具屋さんは、東京でも何軒かしかないオーダーメイドで剣道具を作ってくれるお店らしく、剣道を何年もやった人が思い切って来るような場所だそうだ。時々お店のおじいさんと来客者が真剣に話し込んでいるのが見えるらしい。
飯塚剣道具専門店 https://minato-sansin.com/craftsman/iiduka/
13:00
お姉さんは休み時間が終わるとのことで職場に戻られた。
スタッフAさんから、時々スタッフまかないを作るんだけど、食べませんか?と白菜、カレーの雑炊のお誘い。わーい、いただきます!Dさんと2人でいただいた。白菜の雑炊は味が薄いかもということで、近所のEさんがつくった葉唐辛子の佃煮と一緒に。カレー雑炊は、ソテーしたかぼちゃ、くるみ、レーズンと一緒にいただいた。とっても美味しい。沁みる。。。毎回、美味しいものをいただいている気がする。内臓にも寄り添ってくださる芝の家、ありがたい、嬉しい。
Fくんがやってきた。縁側のソファーに座る。
来客者との距離感についてスタッフAさんに気をつけていることがあるのか質問してみた。芝の家が始まっただいぶ早い段階から、スタッフさんのスタンスみたいなものは決まっていたらしい。スタッフさんがいちばんここのことを知ってるというオーラを出さないとか、常連客をひいきしないとか、色々だそうだ。だからか、お客さんそれぞれのこの場での自発性みたいなものが生まれて来る気がした。どこに座り、何をするのかも含めて。
私は1ヶ月くらい芝の家に通って、ここが落ち着くという場所が既にあることを話した。Fくんのだいぶ側だったけど、座って説明。縁側近くのソファーではなく、そのそばの床に座るのがいちばん落ち着く。じゃあそこで写真撮ろう!とスタッフAさんが撮ってくださった。
Dさんが関わっているスペース 「円盤に乗る場」に興味を持つスタッフさんたち。Dさんが写真などを見せながら説明。「へー、こういう場所があるんだね!」とスタッフさんたち。その流れから、私が運営する「糸口」や神村恵さんの「ユングラ」などの話になった。スタッフさんの中には、北千住にある「仲町の家」の運営メンバーである方もいる。今日は、Dさんが来てくださったことで、東京の色んなスペースが繋がった感じがした。
Dさんは海が近いところで生まれ育ったからか、塩を含んだ風を時々すごく感じたくなるらしい。先日友人と、人の身体にいる(皮膚のそばにまとっている)菌について話したことを思い出して、Dさん、スタッフAさんに話した。土地に肌が合うとか言うけれど、それって本当に自分の身体の菌と土地の菌との相性なんじゃないかという話。だいたい4年くらいかけて身体の菌と土地の菌の融合が行われるらしく、友人はやっとわかってきた、と言っていた。そう思うと、芝の家には色んな人が運んできたさまざまな菌がいるんだろうね、と話が盛り上がった。だからだろうか、初めて訪れても、どこか懐かしい感じがして、自分もここに居てもいいのかも、と思えるのは。
スタッフAさんは風を求めているらしい。冬でも絶対窓を開けたくなる。昔、山登りしていた時にテントの中で寝袋で寝るのが辛かったのだそう。窮屈が苦手。転勤族だったけど、基本的には東京で育った。中学のとき、ホームで電車の風や圧を感じるのが好きだったそう。それを聞いて、むちゃくちゃ都会っ子の楽しみ方だと思った。上京してすぐ、ホームで感じる電車の風や圧がとても怖かったことを思い出した。
江戸っ子の定義についての話になる。
【芝で生まれて神田で育つ】
【神田で生まれて神田で育つ】が正しい!?という人もいる。
芝は漁村だった。
増上寺の話。今度行ってみよう。
地名的に大門には遊郭があったのかな?とスタッフAさんに聞いてみたらどうやらそうらしい。
芸者さんも東京にまだいるもんね、という話に。
お茶碗を片付ける。
私は洗い、Dさんは食器をふく。料理の話になり、Dさんはとにかく鶏肉を焼いて食べているらしい。食器を片付けたら、Dさんはお腹いっぱいで眠くなってきたのでそろそろ帰ります、と芝の家をあとにした。また来てくださいね〜と送るスタッフさんたち。本当は 今日は初めてだったから、入口を見て帰ることになるかもと思って来たらしい。でも入口を見たらなんだか入れそうな気がしたんだとか。入口 (の雰囲気)ってほんとうに大事。
芝のはらっぱの植物に毛虫がついてるらしい。スタッフさんたちがこんど「むしつぶし 」をするんだとか。ひょぇえええ。
Eさんが、はらっぱの柿にゴマが入ってて(黒い点々)甘いと言っていた。
スタッフAさん、帰宅。
小学生たちが帰宅し始めた。
Gちゃんがいつも一番乗りでやってくる。
スタッフBさんとEさん、Gちゃんで世界地図を見ながら話す。
Hちゃんもやって来た。
Gちゃんに「ダンスの作品つくってるんだけど今度お話聞かせてくれない?」と聞くと、「話すことはない!」とのこと。笑。面白い。私が滞在させていただいてる全日、Gちゃんは来ているので、彼女にとって【今ここにいること】が重要なのだ。彼女から話を聞くのはきっともっともっと先なのだ。いつか今過ごしている芝の家での話をインタビューしたい。
元スタッフさんの話になる。それぞれ話したり他の人の話をきいてそれで最後踊り合う会みたいなのをしていたらしい。面白い人だからいつか会って欲しいとのこと。私も会ってみたい。
Hちゃんにファミリーマートの音楽をピアノで教えてもらった。弾けるようになった。嬉しい。
https://on.soundcloud.com/yp61ztahQYN8R8Jn8
15:40
今日はこのあと、宮下さんとの「インターウニ勉強会♯2」の下見でお台場へ行く予定だったので、ちょっと早めに芝の家を出た。ちょうど、スタッフBさん、Eさん、もう1人ご近所の方ではらっぱの柿を見に行っていたので、そこでさよならした。
慶應へ向かう途中、道でIさんに会った。私のことはよくわかっていなかったと思うが、「こんにちは!」と言うと笑顔で「こんにちは!」と返してくれた。そういう関係性が残る土地だということを実感する。おそらく芝の家に向かうのだろう。でもIさん、もう16:00になるよ!(なぜかいつも最近閉まる時にいらっしゃるのでゆっくりお話が聞けなくて残念)
木村玲奈|Reina Kimura
振付家・ダンサー。風土や言葉と身体の関係、人の在り方 / 生き方に興味をもち、〈ダンスは誰のために在るのか〉という問いのもと、国内外様々な土地で創作・上演を行う。近年は、ダンスプロジェクトのリサーチャーやファシリテーターとしても、幅広い年代の身体 / 心と向き合う。主な振付作品に『6steps』『どこかで生まれて、どこかで暮らす。』『接点』がある。’19 – ’20 セゾン・フェロー Ⅰ 。 ’20 – 東京郊外に『糸口』という小さな場・拠点を構え、土地や社会と緩やかに繋がりながら、発表だけにとどまらない実験と交流の場を運営している。
https://reinakimura.com