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変容する脈としての芸能――芸能の伝承について

田村:今度レジデンスをしている香川で、何名かで獅子舞を習いに行きます。一緒に行く人は獅子舞とコラボレーションしたものをやりたいと考えているのですが、僕はそれには興味がないといったらあれですが、きっちり踊れればいいなと思っています。外から来た人が習いにくるという図を、土地の人はどう思っているのか。獅子舞は島の人にとってどういう存在で残っていくのか。高齢化で、伝統芸能を踊れる人が少なくなっている。僕らが踊るのは、記憶を呼び戻す作業のようなもの。そうした状況の中、芸能はどういった機能を持つのかを考えます。

手塚:どの民俗芸能も、あと一歩で見る人・演者もいなくなりそうな状況であり、現在の人にとってはリアリティのない状況が浮かびあがります。しかし、他のことにリアリティがあるかといったら、結婚式や葬式にも何のリアリティもないような気がします。それならば、切れるかもしれない糸を何とかつないで、次に渡せさえすれば、可能性は絶やされない。その後の可能性につながっていく。
今後、文化的な植民地主義の状況がよりひどくなっていくような気がするんですね。線がつながってさえいれば、それが何かになっていくかもしれない、あるいは反応を起こすかもしれない。それが役割を持つことにつながるのではないか。その行為自体をキュレーションと捉えることができるならば、大きな可能性があるのではないでしょうか。

田坂:田村さんの場合、テーマの中に社会的な問題が出ていて、田村さんが作品を作る時点では、社会やそうしたものはあまり関係がないと仰っています。田村さんが獅子舞を習うことも、先にモチベーションがあって、伝統芸能を絶やさないという目的があるわけではないと感じる。その点がお二方は違うなと感じます。私自身は、社会のためのアート、というように、直接的な目的としては考えにくく、実際の作品で具体的にしか発想できません。手塚さんは、ご自身の作品のなかで、社会との関係を意識されますか?

手塚:「社会」も近代化とともにできた言葉です。自分は、私たちが私たちを生かすとこに目的を見いだしています。私が生きること・生かされることと、そのことが役割をもって何かが生きることが、ものづくりをする人の役割であるのではないかと。しかし、これは意識的に行なうことからは遠いと思います。何か流される地点に自分があって、だからそれを受け止める。そのことによって、潜在的な役割が引き出されることもある。私はこちらのほうがいいと思っています。つなぎとめるという目的のもとに具体的に行動するのではなく、芸能が絶やされることで、私自身も生きられない、お互いに生かし合えない状況になってしまうのではないか、という不安を感じること……。
私自身が何をするかというと、内発的に出てくる欲求を使うことや、そのことから出てくる人との関係作りだったりする。調査に関しても、なぜするのかはわからないが、それもひとつの内発的な行為ともいえます。それが結果的に役割を担う可能性に至っています。

手塚夏子

田村:なぜ獅子舞をやるかという話に戻るのですが、一時的なものなので、島民も僕らを部外者として見ると思います。しかし、そういうことを起こすこと自体が祭り的な要素があるのではないか。鬼という存在は、最初からそこにいるわけではなくて、外から来てそこで邪気を払うと。獅子舞の土着な部分に僕らは責任はもてない。しかし、僕ら(異質な者)が行くことで、島民が動き出すことが機能としてあるのかなと思います。

手塚:土着といっても、いつから土着なのかというと、実は外からきたものだったりする。そう考えると、アーティストがそういう行為をすることそれ自体が過去の伝統の反映の仕方と関係があるのかもしれない。異質な者がやってきたことに対する反応。また、芸能とは常に流れているもの。脈のようなイメージを思い描いています。それはどんどん変質していく。別の土地に入るとまた変質していき、変質を繰り返す。強固にその土地でアイデンティティを守るものとはいえない。そのあり方は、非常に矛盾した状況を浮かび上がらせます。

武藤:どこか近代化が単数形で考えられているような気がしていて、そのように考えていると最終的に転倒してしまうのではないか。つまり、民俗芸能を何か不変のものとして捉えることになってしまう。伝統芸能に対しても、ただ残しておくのではなく、常に別の何かになっていく可能性を孕んだものとして捉えるべきなんじゃないか。いろんな近代化の可能性がそれぞれにあるはずで、近代化のプロセスを複数形で捉えるべきではないでしょうか。近代化=西洋化では決してなく、違う考え方があるんじゃないか。
いま、アフリカ系アメリカ人の新しい近代化についての本を読んでいます。その本の中では、日本の「カワイイ」という概念も、日本独自の新しい近代化のかたちではないかと論じられています。だから、獅子舞に関しても近代化がすすんで「モダン獅子舞」みたいなものがでてきてもおかしくないのではないか。

中馬:黒人のゲトーの文化とアイルランドのゲトーの文化がミックスされたところで、タップダンスなどが発展してきた。アメリカ文化を考えたときに、黒人文化とアイリッシュ文化の対立の中でのインタープリテーション(変奏)があった。1979年か78年頃、ギャラリーのオープニングに行ったら白人しかいなかった。マイノリティのアイデンティティ。現在はすべてミックスされた状況になっている。私は、ミックスではなくて個人個人のアイデンティティをみていくべきではないかと思います。ブラックカルチャーというのは強い。だから、獅子舞の動きが様相を変えて日本全体に文化として蔓延することもあるのではないか。

芸術と抵抗

手塚:ブラックカルチャーはなぜ強いのでしょうか。私たちはなぜ民俗芸能のリアリティを保持できなかったのかについても考えるのですが、ブラックカルチャーが続いたのは反応をし続けたからだと思います。制圧されても、抵抗をしたり。日本においては、西洋における近代化が入ったときに簡単につぶされてしまったのではないか。日本には、その伝達の仕方がねじれたりしながら変わっていくような違う可能性ができてくるのではないかと思います。

中馬:私が言えるのは、私が体験したこと。体験したことの伝承はするけれど、意見・定義はかなり難しい。だから、ニューヨークがこうであるとか、日本がこうであるという発言をあえてしないという反応を持っていて、パフォーミングアートをしている。
もうひとつ。私のほうがたくさん生きているので、植民地主義的考え方というものがやはり存在するのを認識しています。コロニゼーションされた啓蒙をしていくことに関して、今もこれからも敏感に言葉と体験を学んでいこうというのが大きいです。植民地とは、例えば1960年、70年代の中央集権化だったんです。私は地方の金沢にいましたが、ベトナム戦争反対運動を金沢でやっていたのと、東京でやっていたのではまったく違う。東京では、ベトナム戦争を反対することでビジネスになる。いわゆる文化人が生きていけるが、金沢ではそれがない。しかし、東京では唐十郎らが起こしたムーヴメントを体感できた。[*1]
最近、開沼博という人の本を読んでいます。4月くらいに出た本で、彼はいわき出身で、彼が住んでいた地域と原子力発電施設との関係が問題意識として書かれています。その本の中で彼は、地方の村という過疎地域(福島、青森など)が1945年以後の高度経済成長期にどのように変化していったかを考察しています。私がすごく驚いたのは、彼が28歳ということ。その若さにも関わらず原子力発電所に関しての明確な問題点を捉えていて、とても感心させられた本です。1970年には、日本で原発に対し反対していた私がいます。なぜその時点で反対したのかというと、この本の中でも分かる通り、日本の文化と関係しています。調査する・実験するというのは経験という軸を持っているわけじゃないですか。その中でどういう仕組みを持って実験していくのか。
もうひとつ付け加えたいのは、1967年にパレスチナという国の歴史がありました。その情報を私はある個人的な関係から知っていました。私の個人的な歴史があるから、私は中東へ行きます。中東がそこにあるから行くのではなくて。7月にまたパレスチナへ行きます。私の場合は文化交流で行くのではなくて、アンダーで入ります。アンダーで入るのとオーバーで入るのでは、意味が違います。オーバーで入るときは、国が関係していて、とてもつまらない。アンダーで入る方が、一緒に食事をするなど、生活に密着できる。
私は、10年ほど前から小屋、劇場でパフォーミングアートを見せるということとは違う方向に行き始めている。パフォーミングアートの創作において、私はダンスやシステムのことを言っているわけではない。60年に見た私の体験。植民地化された歴史が実際にあるわけです。それがひっくり返ることはない。アートやコンテンポラリー自体、植民地化の中に根づいている。だから独自でやっていくアートというものがこの先出てくるべきではないかと思います。

[2012.5.26|構成:下田伊吹+佐々木智子+印牧雅子]


Whenever Wherever Festival 2012|Part 1 Festival

助成:公益財団法人セゾン文化財団、東京都芸術文化発信事業助成
協力:近畿大学国際人文科学研究所 四谷アート・ステュディウム


武田知也|Tomoya Takeda
フェスティバル/トーキョー制作統括
1983年横浜市生まれ。法政大学文学部卒業。大学在学中にアートネットワーク・ジャパン(ANJ)主催「東京国際芸術祭」のYAMP(Youth Art Management Project)に参加。2006年ANJ入社後、廃校になった中学校をアートセンターとして転用した「にしすがも創造舎」のプロジェクトを企画・制作。その後08年から事務局スタッフとして「フェスティバル/トーキョー」の立ち上げに関わり、現在はF/Tで上演される全作品の制作を統括する。

田坂博子|Hiroko Tasaka
恵比寿映像祭キュレーター/東京都写真美術館学芸員
美術館勤務を経て、(株)プロセスアートにて霧の彫刻家・中谷芙二子の作品制作のマネジメントに携わる。同時に芸術と科学、1960−70年代のパフォーマンス、ヴィデオアートを再検証する企画制作に従事。第2回恵比寿映像祭プログラム・コーディネーターを経て、現職。

田村友一郎|Yuichiro Tamura
写真・映像
1977年富山県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。東京藝術大学大学院映像研究科修了。現在は、同研究科後期博士課程に在籍。Googleストリートビューのイメージだけで作ったロードムービー《NIGHTLESS》にて、平成22年度文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞。武満徹《七つの丘の出来事》(演出:一柳慧、東京都現代美術館)にパフォーマーとして参加。MOTアニュアル2012に参加予定。作品は、写真、映像、インスタレーション、パフォーマンスなど多岐にわたる。http://www.damianoyurkiewich.com

中馬芳子|Yoshiko Chuma
ダンサー・振付家
1980年にスクール・オブ・ハードノックスを創立、芸術監督を務める。ニューヨークのパフォーミングアーツ界で優れたアーティストに与えられるベッシー賞を複数回受賞。作曲家のタン・ドゥンやミュージシャンのノーナ・ヘンドリックス、美術家のアレックス・カッツ、作家の高橋源一郎など多岐に渡る分野の才能とコラボレーションを行なっている。アメリカ国内はもとよりヨーロッパ、アジア、中東でもパフォーマンスやワークショップを行い、最も革新的なコレオグラファーの一人として認識されている。http://occupationlayer.blogspot.com

手塚夏子|Natsuko Tezuka
振付家・ダンサー
1996年よりソロ活動を始める。マイムからダンスへと以降しつつ、既成のテクニックではないスタイルの試行錯誤をテーマに活動を続ける。2001年自身の体を観察する「私的解剖実験シリーズ」を始動。02年《私的解剖実験-2》を上演。05年ニューヨークJapan Societyの企画に参加。06年《道場破り》を初演。08年神村恵、捩子ぴじん、スズキクリらと共に「実験ユニット」を結成。観察対象が徐々に変化しつつ、現在、関わりにおいて生じる様々な意識の変容そのものをダンスと捉える。http://natsukote-info.blogspot.jp

武藤大祐|Daisuke Muto
ダンス批評家、群馬県立女子大学准教授(美学、ダンス史・理論)
1975年生まれ。現在の研究課題は、20世紀のダンス芸術の急激な発展を近代西洋とアジアの出会いの所産として捉え直す、ダンスのグローバル・ヒストリー。共著『バレエとダンスの歴史』(平凡社、2012)、『Theater in Japan』(Theater der Zeit、2009)、論文「大野一雄の1980年」(『群馬県立女子大学紀要』第33号、2012)、「イヴォンヌ・レイナー『トリオA』における反スペクタクル」(同30号、2009)、「差異の空間としてのアジア」(『舞台芸術』12号、2007)など。2009年より韓国のダンス月刊誌『몸(MOMM)』で時評を連載。2008年よりIndonesian Dance Festival(ジャカルタ)共同キュレーター。

山崎広太|Kota Yamazaki
振付家・ダンサー
カンパニーKota Yamazaki Fluid hug-hug主宰。ベニントン大学ゲスト講師。1994年バニョレ国際振付賞受賞、2007年ニューヨーク・ダンス・パフォーマンスアワード・ベッシー賞受賞。アフリカからダンサーを招聘し、アメリカ人、日本人ダンサーによる新作《 (glowing) 》が2012-14年北米ツアー予定。Body Arts Laboratory代表。http://www.kotayamazaki.com

印牧雅子|Masako Immaki
編集者、近畿大学国際人文科学研究所四谷アート・ステュディウム研究員
1979年生まれ。主に身体芸術の分野で編集、本づくりなどを行なう。編集書に『Wake up. Black. Bear. 橋本聡』『セルフ・コーチング・ワークショップ2010』『けのび演出集 1 しかしグッズ Kenobi Directions and Instructions 1 The However Goods』など。Body Arts Laboratoryにプログラム・コーディネーターとして携わる。

  1. BAL Interview vol.13も参照されたい。Back
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