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2.

これから港区にどんな新しい劇場ができて、そこで新しい公演がなされるとしても、それが港区という町とのつながりを失わずにいるためにはどうしたらいいのだろうか? しかも木村が言うように、「いつかなくなってしまう」町との回路を、である。

港区の消滅を公演のなかで「美的」に認識させてくれたのが木村の《ダンスタイムカプセル》プロジェクトだとすれば、その消滅のイメージを覆すのもまた美的試みである。それが、岡啓輔による港区三田聖坂の建築プロジェクト、蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)である。岡と建設に携わった「蟻鱒鳶ルダーズ」たちが、2月9日開催のWhenever Wherever Festival 2025(以下、WWFesと略称)の一プログラム《蟻鱒鳶ルトーク——みんなで一緒に建てること》に登場した。会場は港区男女平等参画センター内のリーブラホールである。

リーブラホール
エントランスと
《ダンスタイムカプセル》
壁新聞
Photo
Naoyuki Sakai

岡啓輔、蟻鱒鳶ルダーズ
《蟻鱒鳶ルトーク》
Photo
Naoyuki Sakai

蟻鱒鳶ルの「セルフ・ビルド」は2005年に始まり、ようやく完成間近だ。採算度外視の丁寧なコンクリート打設は、岡が専門家に尋ねたところ200年は耐久するそうだ。[*1]蟻鱒鳶ルの建設と並行して、蟻鱒鳶ルが位置する区画では再開発計画が進められていたが、このたび蟻鱒鳶ルは曳家され、聖坂に留まることとなった。周囲にあった古い、かつての高級マンションたちや区立学校等はすべて取り壊され、坂の上には低層高級住宅が建てられている。——200年後の聖坂を夢想してみる。蟻鱒鳶ルの周囲にある新しさを売りとするマンション群はとっくになくなっているだろう。そこに住む人間たちはどうなっているだろうか。もはや進歩史観に寄りかかることのできない私たちにとって、200年後の港区三田聖坂によりよい世界を想像することはできないが、しかし、だからと言って、砂漠のなかに屹立する蟻鱒鳶ルをイメージするのも何だかはばかられるのである。というのも、その想像にはリアリティがないからだ(200年の内に、耐久性に問題はないとはいえ、蟻鱒鳶ルもなくなっていると考える方が自然だろう)。しかし砂漠のイメージを受け入れられない理由はそれだけではないだろう。砂漠化した聖坂をイメージすることの動機には、現在の聖坂を、すなわち人が住むだけになってしまった、無味乾燥な町を、せめて想像のなかだけでも破壊してしまいたいという衝動的で暴力的な願望があるのだ。

しかし岡ら蟻鱒鳶ルダーズが蟻鱒鳶ルの耐久性を誇るとき、そこにはそうした暴力的なイメージはない。それは、彼らが聖坂と蟻鱒鳶ルをイメージとしてではなく、手や足や全身で触れる物として、つまり〈ゼロ距離〉で感じているからなのだろう。こうした彼らの蟻鱒鳶ルに対する感覚は、町のなかにありながら、そこから超然たろうとする劇場という建築物と好対照をなすように思われる。WWFes2025の会場であるリーブラホールを有する港区男女平等参画センターが、200年持つとは想像しづらい。それは耐久性がどうというよりも、リーブラホールがこの町に残ることを想像することにある種の快感がないからである。一方で、蟻鱒鳶ルにはその快感が伴う。WWFes2025での《トーク》で岡はメンバーを紹介し、経緯を説明するなかで、YouTubeの効能にたびたび言及した。彼によれば、多くの建設作業のノウハウが公開されており、集中力とやる気さえあれば、200年持つコンクリート建築に誰でも何かしらの方法で携わることができるのである。

それを彼らがリーブラホールで語り、建設作業の合間に作られた歌を歌い踊るとき、私は〈居心地の悪さ〉を覚えた。それは二つの要因からなる。一つは、誰でも携わることができたはずなのに、私は何もせず、ただ面白がっていたという事実を突きつけられたことにある。つまり、私のだらけた態度をとがめられたような気がしたのだ。そしてもう一つは、岡が何の衒いもなく「この人はダンスが上手いんですよ」と蟻鱒鳶ルダーズの一人を紹介し、そしてその後でその人の踊りを実際に見たことにある。正直言って、私はそのダンスを見て当惑した。なぜならば、それは「上手さ」を見せつけるものでもなければ、私のなかのダンス観を更新するほど新しい評価機軸を呈示するのでもなかったからである。もちろん、「ダンスの上手さ」が数直線的に表されないこと、そもそも「ダンスの上手さ」を賞玩することがダンス公演のすべてではないことは分かっているつもりである。しかし、それでも当惑したのは、そのダンスに何かリアリティを感じたからなのだ。それは、この《蟻鱒鳶ルトーク》そのものが、町との回路を保ったまま、私たち観客の前に現れたから感じられたのであろう。このリアリティについて、別の言い方をすればこのようになる。岡らはリーブラホールという劇場へなにがしかを「持ち帰る」ために劇場の外で活動していたのではない。そうではなくて、彼らの移動経路がたまたま劇場のなかにも走っていたのだ。こうした感触は木村の《ダンスタイムカプセル》にもあった。

3.

岡啓輔、蟻鱒鳶ルダーズ
《蟻鱒鳶ルトーク》
Photo
Naoyuki Sakai

木村や岡だけでなく、そもそもWWFes自体が周到に言葉を仕掛けている。WWFesが打ち出した「らへん」というキーワードは、英語で言えばaroundnessと言うそうだ。この「○○らへん」という言葉は、最後にいつ使ったか覚えていないほど日常的であるが、しかしこれだけが切り出されると途端に違和感を放つ。この親しみやすさと違和感のバランスのもとに、WWFesは参加アーティストや様々なダンスプロジェクトを触発する。しかしそれらの結果をあらかじめ決定することもしない。むしろ「らへん」とは、そうした未来の予測にあらがい、それを放棄しようとする言葉であろう。WWFesによる2023年の説明を見てみよう。

場所を複数の身体が横断するとき創発され形づくられる環境を、〈アラウンドネス〉と捉えてみたいと思います(何かの周辺を指す〈◯◯らへん〉と呼ばれる広がりを思い浮かべてみてください)。そこには、固有の体験や知覚を伴って醸成される、地図とは異なる空間が浮かび上がってくるはずです。ダンスやパフォーマンスと生活空間が隣りあう、さまざまな〈アラウンドネス〉を透かし見ながら発見すること。そして、緩やかに関連しあう複数のプロジェクトを、時空を超えた〈ら線〉でそっとつないでみる試みがWWFes2023です。[*2]

前回のWWFes2023では港区の様々な地点でのパフォーマンスを最終的にSHIBAURA HOUSEという会場へ持っていくことで、「港区」という象徴として語られる記号としての都市を再び身体感覚の次元で取り返そうとする試みであったように思われる。[*3]

今回のWWFes2025では、この「らへん」についての感覚がアーティストの創作だけでなく、劇場内での鑑賞の次元においても触知可能であった。つまり、私たち観客は「港区らへん」だけでなく、「劇場らへん」を強く意識したのだ。「港区らへん」が都市の経験を身体感覚で取り戻そうとするモットーだとすれば、「劇場らへん」も同様に劇場での鑑賞経験をやはり「身体感覚で取り戻す」試みなのである。しかしなぜわざわざ「劇場らへん」を唱える必要があるのか? 通常、劇場には各公演の痕跡は残らず、つねに無であるよう維持されている。これは優れた発明であるに違いない。そのような実験室のような清潔さのなかでしか観測できない何かがあるはずだからだ。しかし一方で、それは観測状況の「偏向」を顧みる機会を奪う危険性をはらんでもいる。つまり私たち観客は、往々にして劇場が特殊な空間であることを忘れてしまうのだ。そのようにして劇場は自身が立っている町とのつながりを失ってしまう。このような現状において、ダンスが行われる場所を「劇場」ではなく「劇場らへん」と見なすことは、ダンスを劇場の外と結びつける可能性を提供する。しかしこれは、劇場を完全に捨て去って、町へ飛び出そう、とはもはや言わない。エスタブリッシュな劇場の外の町へ出さえすれば、自動的に「新しくて正しい」試みにはならないのだ。なぜならば「町」は往々にして、公共圏ではなく、単なる新自由主義経済の市場でしかないからだ。少なくとも現在の港区はそうである。

「劇場らへん」は劇場の境界を曖昧にして、劇場内の経験と劇場外の出来事との交流を可能にする。そのとき劇場内の鑑賞経験は都市の経験たりうるかを問われ、また劇場外の出来事は生活あるいは経済のメカニズムを批評できるかが問われるだろう。町のなかのダンスはどのように可能になるのだろうか? こう問うたとき、「劇場外=町中」ではないし、「ダンス=ノン・バーバル」でもない。つまり、「町との回路を保つような会話をするダンス」と言い換えられるだろう。本評で取りあげた二つのプロジェクトはどちらも、言葉をダンスの補助以上のものとして扱っていた。そしてそこで発される言葉は決して友好的なものばかりではなかった。これを挑発的と取るのは、やや拙速なまとめのように感じる。それらは私たち観客に呼びかける言葉であった。それは「今ここ」を注視する観客に対して、「今ここ」の危うさを宣告するのである。それを「挑発」と取るかは、観客ひとりひとりにゆだねられているだろう。「いつでもどこでも」を謳うWhenever Wherever Festivalがあえて「劇場らへん」を志向し、それを通して港区という土地とのつながりを探る。私はそこでなされる会話に注目し、そしてダンスについて考えたいと思う。


《ダンスタイムカプセル》
振付・出演:木村玲奈
協働者:言葉、記憶、物語を伝えてくださった方々
協力:芝の家
スペシャルサンクス:T-ROOMS 西荻陶芸教室、戸沼太朗、吉永晴彦
映像撮影:鐘ヶ江歓一

《ダンスタイムカプセル》お渡し会+埋める日
2025年1月18日
芝の家

《蟻鱒鳶ルトーク——みんなで一緒に建てること》
出演:岡啓輔、蟻鱒鳶ルダーズ

2025年2月9日
リーブラホール

Whenever Wherever Festival 2025
共生と社会と〈らへん〉
1秒に1秒進むtime machineを一緒につくるということ

期間:2025年2月1日・2月9日
会場:SHIBAURA HOUSE、リーブラホール(港区立男女平等参画センター)、芝の家、麻布子ども中高生プラザ ほか
主催:一般社団法人ボディアーツラボラトリー
共催:(公財)港区スポーツふれあい文化健康財団〔Kissポート財団〕

キュレーター:Aokid、岩中可南子、五月めい、西村未奈、山崎広太
制作:岩中可南子、林慶一


石見舟Shu Ishimi
中央大学文学部助教。2019年、慶應義塾大学院文学研究科博士課程単位取得退学。専門はドイツ演劇学。共訳書にヘーグ『越境文化演劇』(平田栄一朗、津﨑正行監訳、三元社、2024年)。主な論文は『演劇と民主主義』(平田栄一朗、針貝真理子、北川千香子編、三元社、2025年)所収「鏡に映らない『私たち』――ハイナー・ミュラー戯曲「ヴォロコラムスク幹線路」における民主主義的身体」、論文集»Landschaft – Performance –Teilhabe«(Hg. v. Jens Oliver Krüger u.a., transcript, 2023) 所収›Theater in der Landschaft — Mangelerfahrung in der Landschaftskunst anhand von Heiner Müllers Arbeiten‹等。
https://researchmap.jp/shu_ishimi

  1. 岡啓輔『バベる! 自力でビルを建てる男』筑摩書房、2018年、10頁参照。Back
  2. https://bodyartslabo.com/wwf2023/about/Back
  3. 〈らへん〉と個々のプロジェクトの美学的関係については宮下寛司のWWFes2023レヴューに詳しい。
    https://bodyartslabo.com/report/kanji-miyashita.htmlBack