Body Arts Laboratoryreport

contents

more

2|プロジェクト概観

WWFes2023の発表は「トライアングル・プロジェクト」や小学生ワークショップ「地球の踊りかた」を除けば、SHIBAURA HOUSE(以下、シバウラハウスと表記)で開催された。シバウラハウスは港区芝浦にあるコミュニティ・ハウスである。2011年の改築によってガラス張りを特徴とする現在の姿になった。港区のほかの地域に比べれば芝浦は歴史が浅く、戦後そしてここ数十年の再開発によってにぎわっている。

筆者はすべてのプログラムを観たわけではないが、可能な限りのプログラムへと言及することで、とりわけ都市プロジェクトとしてのフェスティバルである今年のWWFesの特徴を確認したい。

WWFes2023
SHIBAURA
HOUSE
Photo: BAL


ショーケース


トライアングル・プロジェクト
振付コラボレーション・出演:Aokid、穴山香菜、鶴家一仁、宮脇有紀、松本奈々子、山中芽衣、山野邉明香、水越朋、横山彰乃、吉田拓
台本・振付・即興ストラクチャー:山崎広太、即興ストラクチャー・出演:西村未奈、前説:石見舟

WWFes2023においてまず注目すべきは、「トライアングル・プロジェクト」であろう。港区における3地点でダンス・パフォーマンスを展開する。いずれのパフォーマンスにおいても山崎広太が振付・台本、そして西村未奈も即興の構成を手掛け、参加するダンサーは振付コラボレーターとして振付・台本をタスクとして実行していく。パフォーマンスが始まる前には必ず港区出身・在住の演劇研究者、石見舟による場所にまつわる歴史やエピソードの前口上が披露される。サイト・スペシフィックなパフォーマンスであることは明瞭であるが、その場所が持つ歴史へとアプローチするという試みがこの企画をユニークたらしめているといえるだろう。というのも、身体運動の呈示としてのダンスは「今ここ」へと係留される芸術であり、歴史という時間をその身体運動へと接続することは極めて難しいからである。また、港区は東京の中でもとりわけ金融やITなどによる経済的発展の象徴としてイメージされることが多く、高層ビル群の中へと埋もれてしまった歴史的諸層はもはや気に留められることはない。したがってこのパフォーマンスは、都市の現代的かつ象徴的イメージと歴史的イメージとの間の関係を不可能な試みとして生み出そうとしているといえるだろう。しかしながらこのパフォーマンスが目指すのは港区の真の姿としての歴史的イメージを発見することではない。むしろ、都市の現在とは並列するかあるいはそもそも無関係にあるような歴史の位置を示すことである。したがって「トライアングル・プロジェクト」のダンス・パフォーマンスはその場所の歴史的エピソードを再現するものではない。歴史がなおも漂流するように残存すること自体を示すのである。

トライアングル・
プロジェクト
「対話について」
共催:慶應義塾大学
アート・センター
Photo: BAL

最初の場所は慶應義塾大学三田キャンパスにある旧ノグチ・ルームで、「対話について」というタイトルが与えられている。旧ノグチ・ルームは元々1951年に学生向けの談話室として、アメリカ合衆国の彫刻家イサム・ノグチによって庭園とともに制作された建物であった。2003年にこの部屋が収まる旧校舎が解体されたことで、2005年に設立された新校舎へと部屋の庭園設備の一部が移され、現在は貴重な歴史的文化財として管理されている。移設当時は反対のための署名活動があったものの、今となっては滅多に学生が訪れない校舎の中で静かにたたずんでいる。パフォーマンスのためにその部屋と立ち入ることが許されたが、私たちは当時の息遣いをうかがい知ることができる。一方で切断された煙突部分や空へと延びるだけの階段など、かつての場所から引き離された痕跡をはっきりと確認することができる。薄く白いカーテンによって部屋の中は分節され、空間全体がインスタレーションとしても機能している。観客は庭園部分を臨む大きなガラス戸を前にしてフローリング部分に座り、フローリングとガラス戸の間の空間、カーテンによって仕切られた向こう側、そして庭園で多面的に繰り広げられるパフォーマンスを見届けることになる。

タイトルが示す通り、ダンサーたちは多くのことを語るが、旧ノグチ・ルームの歴史を語ってはおらず、ダンサーたちの身に実際に生じたかもしれない平凡かつビビッドな生活のエピソードと思弁的な内容が綯い交ぜになった内容を語っている。ダンサーたちの間で多様な位相にあるテクストが交互に繰り出され、必ずしも明確な対話シーンが構成されているわけではない。しかしながらこの対話は観客に呼びかけるためのものでもなく、むしろこの上演空間へと捧げられているようである。上演空間に向けて捧げられ、観客がそれを聞こうとすることで、初めてこの語りは歴史へと触れようとする。すなわちダンサーでも観客でもないこの上映空間を構成する第三項としての歴史への回路が開かれるのである。部屋の中におけるダンサーたちは部屋の中に身を置き佇むようにして振る舞う。そのような慎重な運動でもって観客に対峙プレゼンスを強めていく。一方で庭園へと出るとなれば、激しく動き回るが、カーテンと窓ガラスという遮蔽物によって幾重にも隔てられることで、そのような激しさを直接的に体感して共有できるわけではない。踊りは第三項への語りを気づかせるために振り付けられ、その身体は空間の中で演出されているようにみえる。したがってここでの踊りはノグチ・ルームを背景にして生み出された踊りというばかりではなく、この部屋へと声と同様に身体を通じて語り掛けるために呈示されるのである。

トライアングル・
プロジェクト
「対話について」
共催:慶應義塾大学
アート・センター
Photo: BAL

次の場所は芝公園である。東京タワーのふもとでありまた増上寺に隣接し、さらには国道301号線とそれと接続する409号線という港区の動脈に接する場所である。旧ノグチ・ルームほどの劇的な歴史はないものの、港区という光景にはあまりにも馴染みある公園である。1月の凍えるような寒空のもとではあったが、4時間という長さで上演され多様なタスクがこなされた。ここでのパフォーマンスは「供養する」と題されている。広い芝公園の中でも芝公園23号地が会場として選ばれたが、ここには明治時代の政治家である渡辺国武の墓や平成末広稲荷神社があり、供養にまつわるいくつもの施設がある。パフォーマンスは集会場の縁にある林の中で始まる。ダンサーたちは落ち葉の中でも転がったりより遠くへ駆けていったりしながら徐々に林の中で上演空間を広げていく。さらに稲荷神社のまわりへと展開することで、供養の場所としての芝公園を発見していくのである。観客は、小道から東京タワーを背景に林を舞台としてパフォーマンスを眺めるか、あるいは林の中に入っていきパフォーマーに近づいて観ることで参加するかを選択することができる。様々なタスクの中で顕著であるのは、この状況における観客が観客主体になるために選択し反省する契機が多いことである。身体彫刻のようなタスクが多く、私たちはそれらを眺め上演空間を成立させることをより一層求められるのである。このパフォーマンスでの上演空間は観客とパフォーマーの距離に応じて変化していき、それによって上演空間と接する日常的な空間との敷居が可視化されるようになる。同時にパフォーマーが場所を移していくときに、日常的な空間への越境というリスクを顕在化させるようになるが、そのリスクを私たちは共有するとともに眺めるのである。

トライアングル・
プロジェクト
「供養する」
Photo:
Eri Saito

3つ目の場所は有栖川宮記念公園であり、「変幻する」と題された。自然豊かで歴史もある公園であるが、他の2つの場所と大きく異なるのは、利用者が多いことである。公園は街路と異なり通過する場所ではない。公園には目的に応じた公共圏が成立しうるが、この公園はとりわけその公共圏が可視化されている。芝公園でのパフォーマンスが公共空間としての日常空間への接触を試みようとしたのに対して、有栖川宮記念公園では公共圏の「中で」パフォーマンスが展開していく。敷地内を数名のダンサーが広がって踊ることでパフォーマンスのための空間を構築していくが、観客はそれを取り囲むように散逸していくことで他の利用者たちへと溶け込んでいく。時には明白な上演空間が成立することもあるが、むしろ他の利用者が——訝しげに近づいたり、興味本位で写真を撮ったり、あるいは立ち止まることで——不意に観客になるような瞬間がよくおとずれる。パフォーマンスは誰を相手にしているかを明示しているわけではなく、また近づいてくる観客となった利用者を巻き込むわけでもない。観客が公園に溶け込み、利用者が観客となるという相互のゆるい侵犯によって上演空間とすでにある公共圏の空間の接触が可能になる。ただし、かろうじて浮かび上がる観客たちによってここで行われていることがパフォーマンスであることが分かり、すでにある公共空間に対して異他的な空間として上演空間が公共圏の空間に残るのである。

トライアングル・
プロジェクト
「変幻する」
Photo:
Eri Saito

「トライアングル・プロジェクト」は、シバウラハウスにて「フラグメント」と題されたダンス・パフォーマンスによって終結する。おもに「対話について」で用いられたシーンが再構成されていたが、このダンスがプロジェクトの完成形ではなく、場所/非場所にまつわる実践のひとつとしてみることができるだろう。「対話について」というダンスが場所としての旧ノグチ・ルームから非場所としてのシバウラハウスに再構成されて移し替えられており、このことを通じてダンスは場所というきっかけを失い抽象的になりうるがゆえに、場所に対してどのように倫理的に付き添えるかということを考えるきっかけになっていたように思われる。


トライアングル・
プロジェクト
「フラグメント」
Photo:
Naoyuki Sakai