あなたの名前は知らないけれど
Text|渋木すず
Whenever Wherever Festival 2026 オルタ “ナラティブ”とliving space(s)
「living space(s)」(2026年2月7日より)|Photo: Hideto Maezawa
Whenever Wherever Festival 2026レビュー
その日は朝から雪がちらちらと降っていた。芝浦の方にはほとんど行ったことがなく、 Googleマップを使って地図通りに歩く。おっこんなところにナチュラルローソン。都会だなぁ、後で寄ろう。そんなことを考えていると、突然白くて高い建物の側面にたどり着く。ここがSHIBAURA HOUSE。今回お招きいただいたWWFesの会場だ。
入って即座に面食らった。広い。1階は3区画に分かれていてそれぞれワークショップが行われているが、床には線が引かれているのみで、衝立も何もない。しかも区画の背面には大きな窓があるので、外から丸見えで、空間としてかなり開かれている。区画の前にはカウンターがあり、いくつかの椅子が置かれている。事前に話には聞いていたものの、空間が広く、自由過ぎて少し所在がない。椅子に座ってワークショップを見ている人がいる。私も場所に慣れるため、しばしその椅子に座って人々の様子を見てみる。
向かって右側はA区画、武本拓也「隠れる、染み込む、変身する」のワークショップが進行中。輪になって話をしたり、身体をほぐすような動きをしている。真ん中のB区画では「話すかわりに踊る」という企画が行われており、2〜3人の人が無言のまま、手や肩など互いの体の一部を接触させながら動き続けている。左側のC区画では、らぼのーちらす「わたしは、○○チャンピオン!!」というワークショップが行われている。どうやら自分の一番好きなことや得意なことを発表し、オリジナルのチャンピオンベルトを考えて作ってみるらしい。
3区画をそれぞれぼーっと眺めてみる。室内は暖かいものの、寒さで体はこわばっていて、手のかじかみも残っている。まだこの場をどう楽しめば良いか、コツが掴めていない。さてどうしようかな、2階から順に回ってみようかな、そう考えながら座っていると、上から賑やかな一団が降りて来た。肩にラジカセのような曲を流す機械とマイクを持って、自由な動きをしている。どうやら上の階でワークショップ発表の企画をしているらしい。プログラムに目を落とす。Aokid・青柳潤ほか「シームレスに展開するショックノー!(職能)——ライブを生きる身体となんか応援する感じ」。どういうことだろう?と思っていると、マイクを1階の各区画の人々に向け始めた。なるほど、ワークショップを紹介してくれるらしい。
一通り紹介も済み、Aokidさんが2階に戻るという。その際に、「これからてきとうたいそうという体操をするので、参加したい人はぜひ。」とアナウンスがあった。楽しそう!と思い、そのまま着いていって2階に上がる。同じように思ったのか、椅子に座っていた他の人々も一緒に階段を上がっていく。そして先ほどの一団の人と混ざって輪になり、「てきとうたいそう」が始まった。
Aokid、青柳潤 ほか
《シームレスに展開する
ショックノー!(職能)》
最初は簡単にいろんな部位を動かしていく。肩、腕、足、膝、身体の重心を上にしたり下にしたりと、普段運動していない私でもついていけそうな、ラジオ体操くらいなものかなと思っていた。が、どんどんと動きが増えてハードになっていく。リズムが自然と生まれ、各々の動きが好きなように混じっていく。しゃがんだりジャンプしたり、体操からやがて踊りへ。この体操、長い!半端な覚悟で挑んだため、とても長く感じる。足はもつれ、集中力が持たない。身体のコミュニケーションに慣れていなくて、場に対する動きの適切さが分からない!でも楽しくてずっと笑ってしまう。いや、適切さとかはないのか?身体を動かすままに動かすのって、案外経験がいるぞ?身体表現の引き出しに乏しいな、私って……と、脳みそがフル回転していく。
身体が動くとどうやら思考の方も動くようで、そういえば体操の前に自己紹介とか全くしなかったな、と考え始める。誰だよ、と思われてないかな、とか、知り合いと一緒に来たほうが良かったかな?とか、考えてもどうしようもないことがぐるぐる巡っていった。私はAokidさんを(ほぼ一方的にだが)知っている。私の所属している演劇プロジェクト:円盤に乗る派の関連イベントでパフォーマンスをしていただいたことがあるのだ。「円盤に乗る派に所属している渋木と申します、乗る派では色々とお世話になりまして……カゲヤマさん(円盤に乗る派の代表:カゲヤマ気象台のこと)からもよろしくと言われております、どうも!!!」という気持ちで踊っていたのだが、ついぞ自己紹介の機会などなかった。
体操の途中、目の端に子連れの方が見えた。私も1歳の子を育てているので、あら、こんにちは!という気持ちで目を向けると、その親御さんは見知った顔だった。12年ぶりに、大学のサークルの後輩に再会したのだった。あまりのことで2度見したが、このチャンスを逃すと次に会えるのはまた10年以上先になってしまうかもしれない。35歳、偶然でもなんでも、友人知人に会えた機会は逃せないのだ。申し訳ないながらも思いきって体操を抜けさせてもらい、その方に声をかけてびっくりされた。お互いに何故ここに!?という経緯を話しながら、近況を一通りしばらく話し、ではまた、と解散して体操に戻る。体操はまた激しくなっている。抜けてしまって申し訳なかったなと思いながら戻ると、皆さんがスペースをあけながら「おかえり!」と言ってくれてホッとする。
体操も佳境に入ってきたころ、おそらく一人ひとり踊って良いタイミングがあり、そしておそらく、「踊っていいよ!」と(身体のみのコミュニケーションで)お誘いいただいたのだが、それにうまく気が付けず、乗ることができなかった。他の方が踊り始めたのを見て、そういうことだったのか~!!!と楽しくなってしまう。本当に面白い。こんなに踊っていて言うのもなんだが、元来恥ずかしがり屋な性分ゆえ、身体の動きを注目されることにうまくついていけていない自分がいた。演劇に関わっていたのに、不意に参加した場のノリに答えることが恥ずかしいなんて!場を乱してごめんなさいという気持ちと、それが全く問題なくOKな雰囲気、この恥ずかしさとぎこちない身体を丸ごと受け入れてくれるような了承を感じられて、最後まで楽しく参加することができた。
すっかり汗だくになってしまった。体中がぽかぽかだ。血流が良くなりすぎて、少しこめかみがドクンドクンといっているくらい。まるでサウナに入った後のようで、日頃の運動不足を痛感している。かじかむ手も硬くなった体もすっかりほぐれて1階に降りると、まるで景色が違って見える。場が、この空間に作られている「世界」が、身体に馴染むのだ。空間が変わったのではない。私の身体が温かくなり、心がオープンになっている。
人に声をかけるハードルがぐんと下がっている自分に気づく。ここまで来たならとことん参加して楽しんでみよう。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」というやつだ。早速、B区画の「話すかわりに踊る」に参加しようかと思って見てみると、C区画のチャンピオンベルト作り企画の方が中に入って踊っている!踊りながら、自分のところのワークショップの方ともコミュニケーションを取って、踊りに戻ったりワークショップに戻ったりしていた。それがとても自然で、ふいに腑に落ちた。そうか。ここはシームレスに移動していく場。それぞれのパフォーマンスによって空間が溶け合い、影響し合う場。——「living space(s)は、いまこの場所、を複数の出来事が同時にシェアしているところから立ち上がる」——フライヤーに書かれている通りのことが目の前で起こっている。
私も「話すかわりに踊る」の区画に入って、一緒に身体を合わせてみる。こんにちは、という声はないけど、恐る恐る出した手が他の人の手と重なって、「こんにちは」と聞こえた気がした。身体の一部をくっつけながら、互いの重心の移動を感じる。肩に人の手が触れる。肩のわずかな重みに私が重心を下げて行くと、お辞儀をするような格好になる。相手の身体もその重心に引っ張られて下に向かう。心地よい重みがある。別の人の身体が来る。その人とも挨拶のように手を合わせる。それを繰り返す。この人がどのような人であるかは全く存じないが、身体の硬さや触れ方、重心の向け方がよく分かり、そしてそれは身体同士の会話のようであった。私の体がまた不意に上に向き、顔をあげると、隣で制作中のチャンピオンベルトが目に入った。どうしても気になって、さようなら、のように身体をふっと自由にして、相手との接触を解除して踊りを抜け出した。
もうチャンピオンベルトのワークショップの時間は終盤となっていたのだが、色々と話を聞いていると、ご厚意で私も作成に加わらせてもらえることとなった。自分の特技や好きなことをチャンピオンベルトにし、それを身に着けながら歩くらしい。まさしくリングまでの道を悠々と歩くチャンピオンのごとく。自分にとってチャンピオンとまで言えるような特技や「好き」って何だろう?しっかり考えたいが、急遽参加させていただいたので、発表のターンまで僅かしかない。ぱっと浮かんだものをとっさに書く。黄色の画用紙を丸く切り取って黒いベルトの真ん中に張り、大きな文字で「笑顔」。両端にアンパンマンをあしらい、ペンや折り紙で装飾して何とか派手に見えるように工夫してみる。生まれてこの方「笑顔」だけは褒められるので、私は笑顔チャンピオン、ということにしておこう。舐められがちなこの笑顔も、この年になると悪いばかりではない。
必死でチャンピオンベルトを制作している途中、A区画の武本さんのワークショップ参加者の方が、画用紙を広げている机の下に潜り込んで来た。不思議と違和感も怖さもなく、溶け込んでいる。この状況に突っ込みを入れたくなるような気持ちにもならなくて、もくもくとベルトを作り続ける。
何とか完成させ、発表のターンで他の人のベルトを見せてもらう。やはり最初からワークショップに参加されていた方のベルトの完成度がすごい。焼き鳥がベルトにあしらわれていたり、めくれるようになっていたり。焼き鳥が好き、踊りが好き、映画が好き、考えすぎ、それぞれのチャンピオンが道をゆっくり歩いてはベルトをアピールしていく。私の番では「渋木!笑顔!渋木!笑顔!」とコールを入れてもらった。歩いていてこんなに盛り上げてもらえることなどそうそうないので、高揚感がすごい。すっかりチャンピオン気分になって道を歩き切ると、架空のマイクを向けられたので、アンパンマンのベルトを掲げながら、おもいっきり「世界平和!!」と叫んだ。

盛りだくさんだった前半のすべてのワークショップが終わった。机や椅子が片付き、すっきりとした大きな窓を中心に、また別の広い空間が立ち上がる。窓の向こうで人々が歩いているのが見える。
ショーケースのプログラムが始まった。最初は藤村港平×岡直人。静かな音楽と呼吸から始まり、何かの日常動作を戯画化したような極端な動きと、また極端な立ち姿への回帰。不随意の筋肉の動きのように見えていたもの、大きなけいれんのように見えていた動きはやがてリズムになり、踊りになっていった。息を止めて見続けてしまう。私はダンスを知らない。ダンスの歴史も、この解釈があっているのかもわからない。でも、この動きが、日々の生活で必死に朝の準備をして満員電車に揉まれて機械的に働きに行く自分とオーバーラップしてしまい、目が潤む。「モダン・タイムス」のような極端な戯画化のように、動き自体の単純な面白さから始まったのに、その極端さが切実に思えてくる。ダンスの後ろ、大きな窓の向こう側で、立ち止まってずっと見続けたがる子どもがいる。その子の手を引いて、保護者は去っていく。
次のプログラムでは突如として椅子取りゲームが始まった。全員強制参加型らしく、その場にいる必要があるが、「参加する」「参加したくない」は選べるらしい。ただ、私は思考的にも体力的にも限界が来てしまい、卑怯だが2階に逃げてしまった。上から事の成り行きを見守る。要旨はこうだ。今から椅子取りゲームを始める。参加したい人はそのまま立っておく。参加したくない人は、「不参加」の札を首に下げて、先に椅子に座っておく。椅子取りゲームは始まるが、当然不参加の人の椅子には座れないので、そこ以外の空いた椅子を残りの参加者が奪い合う。負けた人は、勝った人にとって、何か益になりそうなことをする—肩を揉んだり、土下座のような動きをしたり—。それを何回か続けていると、いろんな人がいることが分かる。不参加だったけど参加したくなって立った人、参加していたけど不参加に変えた人。3回終えると、不参加の人が段々と増えてきた。示唆的だなあ、と思う。パイの奪い合いは常に参加した側に起こることで、不参加の人には影響がない。資本主義とか、労働とか、戦争とか、選挙とか……と、また思考がぐるぐるしてしまって、すっかり限界になってしまった。
まだ少しプログラムが続いているようだが、一足先に離脱させてもらう。くたくただ。近くの吉野家に入って牛丼を食べる。周りを少し散策し、大きなハナマサが隣にあることに気づく。セブンイレブンで温かい紅茶を飲んで回復し、後半に参加。
藤村港平・岡直人
《パノラマパラノ》
ショーケース
「when where living
performance(s)」
(企画:西村未奈)より
豊田ゆり佳・坂本恭隆
《自由/不自由意志の
椅子取りゲーム》
同前
1階の3区画ではまた別の企画が立ち上がっていた。どれも静かに始まっている様子で、前半ですっかり疲れてしまった私はゆっくりと椅子に座って場を見てみる。
カウンター席から見て左側ではMaria de los Angeles Pais「つぎはぎの場所(today, I’m my home)」が始まっている。区画の中に紐を貼り、その紐に木製のピンチが挟まれていく。すでに一室の部屋のように空間が作られてきていた。真ん中ではazroom遠藤朝恵「色・存在の証明」。世界観デザイナーの遠藤さんと一対一でいくつかの質疑を交えながら話すと、自分のイメージの色を選んでくれるようだ。右側では福留麻里「私的で公共空間的な振付」。副題が「小さな動きからつくるミニ盆踊り」ということで、ワークショップに集まった人々と車座になって話し合っている。
自分のイメージの色を選んでもらえる、という話に興味がそそられ、「色・存在の証明」に参加させてもらった。小さな机の周りには椅子が四つ。机にはきれいな花が置いてある。遠藤さんとご挨拶し、どの場所が居心地がいいですか?と聞かれた。一周回ってみて、窓から景色の見える椅子に座る。遠藤さんが座る場所が自分の左か右か、どちらが心地よいかまで聞いてもらえた。いくつかの質問をされる。「最近あったうれしいこと」「最近あった悲しいこと」等、別に聞かれても想定できそうな質問なのに、ものすごく答えに悩んでしまった。ここ最近、喜びも悲しみも段々と平均化してきている。結局答えたことが両方とも人間関係関連で、少し気恥ずかしい。人間に対する思い入れが重たいよな~と自戒しつつ、遠藤さんが最後に、「自分を表す動きをしてみてください。」という。声を出すもよし、踊るもよし、歌うもよし、とのことなので、少し考えて、机の上にあった花に向かって、静かに「あーーーー」と声を出してみた。私は自分の長く息を吐くようなこの声が好きだし、これを適切に受け止めてくれるものは植物のような気がした。そうすると、遠藤さんがうんうんとうなずいて、色を3色選んでくれた。紫と、紫がかったパステルピンクと、クリームのようなイエローだった。元気が出るけど大人っぽいような、そんな優しい色だった。
手前:Maria de
los Angeles Pais
《つぎはぎの場所
(today, I’m my home)》
-
奥:福留麻里
《私的で公共空間的な振付》
その後も、2階の「写真家とは何をしている人たちなのか」に関連する展示で提起されている問題に共感したり、中2階の豆ZINE作りをしたり、ミニ盆踊りの発表や「つぎはぎの場所」の立ち上がりと終わりまでを見たりと、めいっぱい楽しんだ。
さて、最後のワークショップまで時間があるので、せっかくだからビールでも飲もうかなと思ってカウンターに行くと、「青飯」という看板が貼ってある。気が付かなかった。プログラムを見ると、西村未奈「青飯ワンダーの怪」、インスタレーションと書いてある。じっと見ていると、カウンターから「青飯食べました?」とお声がけをいただいた。
少し怖いが、せっかくなのでキッチンに入り食べさせてもらう。薄暗いキッチン。お皿の上にはスプーンが何本も円になって置いてある。その上に青い色をしたお米が乗っている。どうやらそれぞれ味が違うらしい。怖い。ええいままよ、と思って一つ選んで口に運ぶ。乾燥した硬めのご飯をゆっくり噛むと、甘い。レーズンのような干した果物のような物の触感、すこしざらっとした舌触り。しょっぱさも少しある?分からない、これは何だろう。目を閉じて咀嚼を続ける。閉じた瞼の裏に映像が浮かぶ。宇宙船がワープ航法を行っている時の、暗闇の中で光が後ろに進んでいく光景。味が、早すぎてゆっくり感じるような気がする。これは宇宙と時空間の味、早くて遅い味……と、思考にふけっていると、ただのお米の味に戻っていく。
そういえば小学5年生の時に理科の実験で先生が持ってきたご飯をみんなで噛んだな。ご飯を噛み続けるとでんぷんが唾液によって糖になっていくという実験だった。冷ご飯が苦手だったからよく覚えている。そうして宇宙と過去の思い出が一通り過ぎ去り、目を開けると薄暗いキッチンだった。若干の涙目で、宇宙の味がしました、と感想を伝えると、「めっちゃいい感想ですね!」と言っていただけた。すごい体験だったのでぜひ他の人にも味わってほしいと、周りの人に勧めると、何人かの人がキッチンに入っていった。
青飯の後味もあるうちに、山﨑広太「みんなでJomba」が始まった。Jombaってなんだろう?検索してもいまいち分からず、プログラムの説明を読むと「Zumba」というワードも出てくる。あらためてZumbaで検索すると、ラテン系の音楽を中心とした、コロンビア生まれのダンスフィットネスプログラム、らしい。エアロビの講師のような恰好をした山﨑さんが登場し、説明もそこそこに振付をし始めている。最初は奥のガラス窓を左手に、空間を横切るように振りをつけて歩いていく。まるでランウェイのように2列になって、山﨑さんの指示とお手本のもと、大きく足を広げて歩いてみたり、踊りながら歩いてみたりする。山﨑さんから「ボンジョビみたいな感じで!」「矢沢永吉みたいな感じで!」という指示が来るが、ボンジョビってどんな感じだっけ、矢沢永吉ってあまり知らなくて……とペアになった人としゃべりながらとりあえず動いて歩いてみる。
歩行のターンが終わり、いよいよダンスの本番が始まったようだ。まるでフィットネスクラブの鏡に見たてられたような窓ガラスを前に、みんなで山﨑さんの振付を見ながら踊ってみる。私はダンス経験もないので、必死に振付を真似しようと思うのだが、それはできそうにもない。そして周りの人々も、正確に真似しようとしているわけではないことに気が付いた。山﨑さんが一度限りのお手本を踊り、後ろについてみんなが踊る。普段からダンスに親しんでいる人も、そうでない人も必死に見つつ覚えつつ、とりあえず体を動かしている。
一日この場に居てようやく分かってきたことなのだが、「ダンス」といっても色々で、振付を正確に模倣しなければならないというわけでも、絶対の正解があるというわけでもないようだ。バレエダンスや中学校のダンスの授業のイメージが強すぎて、上手に体が動かせないことが恥ずかしかったが、実はもっと自由な部分があるのかもしれない。要するに、「振付」とは、動きを正確に模倣するのではなく、「この振付の意味するところを理解する」方が大事なのだろう。この動きによってどういうムードを出したいのか、相手を魅力的に挑発するような動きなのか、自分に自信があるような動きなのか、そういう「振付から出る雰囲気と意味」のほうがずっと大事なのかもしれない。
と、半ば勝手に解釈しつつ、場を乱さない程度に振付を間違えても楽しく堂々と踊り、また汗だくになりながら帰りの時間まで踊り切った。もう、踊っても、踊りを見られても、恥ずかしくはなかった。
そろそろ帰りの時間のため、名残惜しいが切り上げて上着を着る。一緒に体操をした人、踊った人、チャンピオンベルトを作った人、青いご飯を食べた人……たくさんの方々がいて、でもほとんどの人のお名前を知らずに、そして私もほとんど伝えずに、この場を立ち去ろうとしている。私が何者で、どうしてここにいるかなんて、さして重要ではない。あなたの名前は知らないけれど、あなたの身体を、あなたのダンスを、あなたの表現を知っている。それで十分だった。それは言葉をベースに活動している私にとっては少し驚くべきことで、でもとても心地よいことだった。
外の雪はどんどん強くなっていく。明日は選挙の投票日。私は期日前で投票済みだが、きっと朝には積もるだろう。
19時を過ぎてもまだまだ踊り続ける人々を背に、外に出る。もうGoogleマップ無しでも駅まで歩ける。気になっていたハナマサとナチュラルローソンに寄って、すっかり馴染んだこの場所を離れた。温かい身体を携えて、家に帰ろう。
渋木すず|Suzu Shibuki
1990年広島県生まれ。会社員。エッセイを書く。「ちょっとしたパーティー(@A_little_party)」という名前で餅つきや同人誌作り等々に勤しんでいる。演劇プロジェクト「円盤に乗る派」にウォッチャーとして参加中。
note:https://note.com/suzu_shibuki
Whenever Wherever Festival 2026
オルタ “ナラティブ”とliving space(s)
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living space(s)
2026年2月7日(土)-2月8日(日)
SHIBAURA HOUSE(東京都港区)
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主催:一般社団法人ボディアーツラボラトリー
助成:(公財)港区スポーツふれあい文化健康財団〔Kiss ポート財団〕、アーツカウンシル東京[東京芸術文化創造発信助成(単年助成)]芸術創造活動
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Photo: Hideto Maezawa






