梅若の不在から始まる普遍的不在の開設|3
Text|郡司ぺギオ幸夫(生命基礎論)
5. 静謐の中の「不在」の動勢
ラップが終わると、ダンサーは全員で振りを揃えて踊り、次第にいなくなり、SHIon一人、中央に横たわっている。私、我、わ、…に関し各々が独白、時計仕掛けのオレンジ、行ってしまう私、来てしまう私、吾、我。残されたSHIonの周囲に、みんなの声だけが響き渡る。「六ミリも失うことのない空白のキャンバス。六ミリも失うことのない、知らない人が通り過ぎて、『あっ』と言った瞬間」。その声を背景に、SHIonが立ち上がる。ヤゴが脱皮してトンボになる時のように、身体を海老反らせ、くねらせ、身体中に圧縮された体液を巡らせ、肉体を身体化させる。「そこは変幻自在の磁場だったから」の声が終わると、SHIonが舞台袖へ入り、桶を叩くような、闇を引き裂く音が鳴り響き、それまでも舞台の基調を成していた内橋和久の音楽が最高潮を迎える。
舞台全体がぼんやりとした、暗い光に包まれ、千昌が現れる。木槌の連打のようなリズムに合わせ、手足は波間に漂うクモヒトデのように動く。自分で手足を動かしているのか、波によって動かされているのか、まるで判然としない。動くことが動かされることであり、動かされることが動くことである現場を目の当たりにすることで、この動きは、動くと動かされるの間の「不在」それ自体の運動なのだと思い知らされる。
セバスチャンが加わり、動く・動かされるは、二人で実現される。どちらが動かし、どちらが動かされているのか、判然としない。セバスチャンが千昌を投げ飛ばしているか、千昌がセバスチャンを跳躍台に使っているのか。もつれあった身体は、絶えず遊離しているようにも融合しているようにも思え、そのような判断の間の「不在」こそが、この運動なのだと知ることになる。闇を切り裂くように港平が加わる。仄暗い闇の中に浮かぶ三人の姿は、灰色の粘土のようにも見える。融合され、分裂し、再配列しては、また絡み合う。それは彫塑家の意図と実現の間の不在、マルセル・デュシャンの言う芸術係数[*1][*2]のように、不在を思い知らせる。突然、セバスチャンが舞台袖に消える。
港平と千昌の二人になり、二人が共に踊っているのか、各々が勝手に踊っているのか、吸い寄せられるようにただ見ていながら、何かを見ようとしているのかという間に、不在が感じられる。いや、何かを見ようとしている、といった大袈裟なものではない。遠くから聞こえてくる暴走車とパトカーの音を聞くと、現にそれを聞いていて何かを思い出す気がするのか、何かを思い出し、その時の感覚を再現しようとその音に注力しているのか、判然としない時がある。それは確かに、判然としない苛立ちなのではなく、それこそ、聴覚のための意図と実現の間の不在なのだ。だからこそ、その不在に陥入する不可思議な違和感は、奇妙な浮遊感を与えてくれる。港平と千昌の身体のやりとりは、その不可思議な違和感を感じさせてくれる。
港平も去り、千昌一人で踊り続ける。丸太や桶を叩き続けるような打撃音には、いつしかベースのような音、さらにはもっと激しい金属音が加わり、鳴り響く。千昌はその音響によって自動的に立ち上がり、体を揺すり、隷従して動いているようにも、音を聞いて苦しみ悶えながらも、自律して動いているようにも見える。突然、能『隅田川』の舞が思い出される[*3]。シテは、腰をほんの少しだけ落とし、体幹はぶれることなく水面を進むように、しかしゆるり、ゆるりと体を移動する。その静けさ、その緊張の中に、梅若を探す母親の狂おしい悲しみが漲っている。その動かないシテの表面は、梅若が見つかるという確信と、見つかるはずがないという絶望が、あらゆる点において出会い、その確定は先送りするために脱色され「不在」となる。かくしてシテは、「不在」を纏うことで、梅若を待つ態度を全面化している。
千昌の鳴動は、これだったのではないか。いや、千昌に限らない。『梅若はまだ帰らない。』の、この最後のダンス、「そこは変幻自在の磁場だったから」の声以降の、このダンスこそ、能の静謐に見出される「不在」、梅若が見つかるという確信と、見つかるはずがないという絶望を共に受け入れながら、それを脱色することで生成される「不在」の、現代的解釈なのだと思われる。
我々は「不在」というと、脱色であり、意味を忘れることであり、何かが失われることである、と素朴に考えてしまう。しかし、現代の我々にとって、「不在」はそう容易く見出され、形成できるものではない。我々は意味のネットワーク、関係性のネットワークにがんじがらめになっており、何かの不在には、背後にあって隠れていた意味がすぐさま現れる。関係性のネットワークにおいてむしろ、穴や不在など見つけられない。不在は、すぐさま代替物で埋められてしまう。日本画家の中村恭子は、だからこそ「不在」を加算によって構成した[*4][*5]。中村は言う。廃墟を見ると、現在廃墟となってしまった建築物の栄光ある過去と、それを見る我々の未来とが二重写となり、過去と未来の融合は、鑑賞者を郷愁の閉域に押しとどめる。それは、過去と未来が一致したセンチメンタリズムであり、つまらないものだ。このような閉域から逃れ、その外部から創造的日々を受け取るには、過去と未来を脱色し[*6][*7]、そこに「不在」を形成するしかない。そのために中村は、「窟」を加算する。中村が描いた英国修道院の廃墟が、農民の耕作地や、労働者の住居、鳩の棲家として利用されたという経緯こそが、ノスタルジアを脱色するものである。それを総称して「窟」と言い、「窟」の加算によって、「不在」を構成して見せた[*8][*9]のだ。
まさに、ここに展開される身体のやりとりは、不在を構成するための加算である。「動く」・「動かされる」、「想起する」・「記憶する」の間の不在を立ち上げるこれら身体の激しいやりとり、ダンスこそ、シテが体現する不在の現代的表現なのである。
やがて静寂、聞こえてくるのは千昌の激しい息遣いだけだ。千昌が中央で、靴を脱ぎ、横たわる。自分の影とのコンタクト・インプロヴィゼーション[*10]、それも終わって暗闇に消えると、未奈の姿だけ光に浮かび、立ち尽くして独白。
「行ってしまったよね。…寄ってくることってないと思う。あると思わない。風の塊を感じる時とか、来ているよ。わたしは覚めたことを知らないという隙間に、梅若丸という錯覚。…どことなくそよぐ風。わたしは覚めたことを知らないという隙間に、すぐにでも来てしまう、あなたという錯覚。…透明な未来って言いながら、…わたしという未来につきそっていくつもり?ドアが開く。小さなさくらんぼ、が、一瞬、瞬いては消えていく。微かに失われた空気がほどけていく心地よさを感じながら、体は少しだけよろけてしまう」暗転、終幕。
かくしてここに、普遍的不在が形成されたのである。
郡司ペギオ幸夫|Pegio-Yukio Gunji
生命基礎論
1959年、茨城生まれ。科学者。早稲田大学基幹理工学部教授。著書に『天然知能』『やってくる』『創造性はどこからやってくるか』など。
過去の山﨑広太ダンス公演のレビューに「これは確かに、ダサカッコワルイ・ダンスだわ」がある(所収『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』青土社、2022)。
《梅若はまだ帰らない。》<戯曲ダンス版>
2026年9月4日−6日
すみだパークシアター倉
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振付・脚本:山﨑広太
音楽:内橋和久
出演:SHIon、Sebastian Geilings、堀田千晶、藤村港平、西村未奈
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照明:岩品武顕
音響:齊藤梅生
衣裳:藤谷香子
舞台監督:河内崇
宣伝美術:八木幣二郎
制作:林慶一
ディレクター(すみだ五彩の芸術祭):荻原康子
アートコーディネーター(すみだ五彩の芸術祭):水野立子
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主催:「すみだ五彩の芸術祭」実行委員会、墨田区
令和8年度 文化庁 文化芸術創造拠点形成事業
- Duchamp, Marcel (1973 [1957]). “The Creative Act.” In Michel Sanouillet and Elmer Peterson (eds.), The Writings of Marcel Duchamp. New York: Da Capo Press, pp. 138–140.Back
- Nakamura, Kyoko, and Yukio Pegio Gunji (2020). “Entanglement of Art Coefficient, or Creativity.” Foundations of Science, 25, 247–257. https://doi.org/10.1007/s10699-019-09586-8Back
- 日本芸術文化振興会(刊年不詳)「隅田川」『ユネスコ無形文化遺産 芸能への誘い 能楽』。https://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/noh/jp/play/noh5.html(2026年10月12日参照)Back
- 中村恭子(2025)「廃墟を『窟』として現れる不在の物象化」『第26回計測自動制御学会システムインテグレーション部門講演会 講演論文集』3B1-05。Back
- 德山祐耀・中村恭子(2025)「外部へ通ずるリミナルスペース ノスタルジアにおけるトラウマ構造と芸術的展開」『共創学』6(1), 1–12。 https://nihon-kyousou.jp/jrn/vol6_no1/(2026年10月12日参照)Back
- 中村恭子(2026)「現実を召喚する『窟』における因果系列の水平スキーム」『表象文化論学会 第20回大会』パネル3「縁起を召喚する力」発表要旨、2026年7月12日。https://www.repre.org/conventions/20/post_107/index.php(2026年10月12日参照). Back
- Gunji, Y.P., Nakamura K., Sasai, K., Tani, I., Kuroki, M., Chiolerio, A., Adamatzky, A., Khrennikov, A. (2026). Interplay Between Vertical and Horizontal Schemes of Computation: From Bayesian Inference to Quantum Logic via Gluing Boolean Algebras. Entropy, 28(5), 498; https://doi.org/10.3390/e28050498.Back
- 中村恭子(2025)「廃墟を『窟』として現れる不在の物象化」『第26回計測自動制御学会システムインテグレーション部門講演会 講演論文集』3B1-05。Back
- 中村恭子(2026)「現実を召喚する『窟』における因果系列の水平スキーム」『表象文化論学会 第20回大会』パネル3「縁起を召喚する力」発表要旨、2026年7月12日。https://www.repre.org/conventions/20/post_107/index.php(2026年10月12日参照). Back
- Contact Quarterly(刊年不詳)“About Contact Improvisation.”https://contactquarterly.com/contact-improvisation/about/index.php.Back






